こどおじ大学生の現実逃避行記

旅に関するブログをやっています。まったりと国内旅行の日記を投稿しているので良かったら読んでください。

上越新幹線・いなほ経由で日本海を北上し酒田の栄華を辿る 【2021.03北日本旅行】#1

こんにちは、三鷹です。

 

本記事(群)は2021年3月に行った旅行の内容を備忘録として収める目的で書かれています。「私の記事を出来る限り多くの方に読んでもらいたい!」という意図では書いていないので悪しからずご承知ください。

 

本記事は一日目、山形県酒田市までの備忘録です。

 

まずは東京駅からとき307号に乗って新潟へ。こちらえきねっとのお先にトクだ値スペシャルで予約したので5250円で購入。貧困一人旅大学生に優しいね、ありがとうJR東日本

 

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東京駅のホームに待っていたのはE2系。この車両は1997年開業の秋田新幹線及び長野新幹線に併せて開発されたものです。2000年前後生まれのキッズは「東北新幹線E2系しか勝たん」という教えを義務教育で教わります。小学生の頃眺めていた鉄道図鑑にもE2系が必ず載っていたのを覚えています。開発されて今年で24年、車両の寿命は大体ネコ以上カメ以下みたいな個人的偏見があるのですが、もう引退も近いのでしょうか。E2系キッズとしては大変悲しいですが、今回E2系に乗ることが出来たのは大変光栄でした。

 

東京⇒上野⇒大宮⇒...と進むにつれ眠気が。目が覚めると上毛高原駅を通過したところのよう。3月とは言え上旬も上旬、積雪がないことに驚きました。まあ実際そんなものなのか、と考えつつ谷川岳を越えるとそこは新潟県越後湯沢。トンネルを抜けた瞬間、車窓から見えたのは一面の雪景色でした。『国境の長いトンネルを抜けると』とはこの景色を見事に表現したものだなと感動しました。さす康成。

 

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新潟駅について乗り継いだのはいなほ3号。終点の酒田まで乗りました。こちらもお先にトクだ値スペシャルで2580円、やっす。大丈夫かJR東日本

 

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車内は私以外誰もいない。マジで大丈夫かJR東日本。ところでいなほに使用されているのはE653系、こちらも1997年開発の車両。2000年前後生まれキッズ思い出の車両ですね。我々の小学生時代はフレッシュひたちの停車駅を暗唱出来るとクラスでチヤホヤされたものです。太平洋側の常磐線では見なくなりましたが、日本海側の羽越線で余生を送られているようです。こちらもご逝去して鉄クズになる前に乗車でき、大変光栄でした。

 

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いなほに乗ったもう一つの目的はこの笹川流れ笹川流れとは新潟県村上市にある11キロに及ぶ海岸で、波の浸食作用で奇岩や洞穴が多く見られるのが特徴で天然記念物にも登録されています。羽越本線笹川流れに沿って走っており、車窓からその大胆な地形を拝むことが出来ます。同じく国道345号も並走しているので、次は車で訪れてみたいものですね。

 

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酒田駅に到着したのは13時のこと。酒田駅は私が想像するよりこじんまりとしていることに驚きました。私は選好が歪んでいるのでむしろそのような駅の方が好みですが。まずは昼食を食べよう、ということで駅近くの酒田ラーメンをすすることに。

 

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まず訪れたのは本間家別邸庭園『鶴舞園』。本間氏とは酒田一帯の土地を持っていた「日本一の地主」とも言われた豪商で、農地解放以前はとてつもない栄華をほこっていたとか。鶴舞園は1813年に4代目光道が造成した庭園で、日本酒でも有名な鳥海山を借景としたものです。しかし、写真のように当日は雲がかかってしまい、借景は叶わず。これについてはまたリベンジしたいですね。

 

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次に訪れたのは日和山公園。この公園は灯台や方角石など、酒田が最も栄えていたときに使用されていた遺物が多く保存されている公園です。いわゆる西廻り航路(後述)を考案した河村瑞賢や『奥の細道』で酒田を訪れた松尾芭蕉銅像もここに立っています。夕方ごろに訪れると日本海に沈む夕日がとても映える美しい公園だそう。

 

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次に訪れたのは山居倉庫と庄内米歴史資料館。酒田が世に名を馳せたのは江戸時代、河村瑞賢が確立した西廻り航路で、酒田が米の積出地となったことに由来します。貿易の中継地として酒田は栄華を極め「西の堺、東の酒田」と呼ばれるほどになります。本間家が日本一の地主と言うのも納得ですね。山居倉庫は1893年に建てられた米保管倉庫で、米に支えられた酒田のシンボルでもあります。米歴史資料館は倉庫の中で酒田及び米の歴史、米文化や農民の暮らし、品種開発など多範な内容を展示した資料館です。情報量も多いこともありますが体験型の展示も多く、今まで訪れた資料館の中でも指折りで面白かったですね。

 

他にも訪れたところもありましたが、分量の関係で割愛をさせて頂きました。酒田は東京からのアクセスが比較的難しく、学生のうちにゆっくり訪れておきたいと思っていた街でした。私は高校では世界史・地理選択だったので日本史に明るくないですが、改めて酒田関連の歴史をおさらいして旅に出たので非常に勉強にもなり良い経験となりました。

 

やる気があれば続きを投稿しようと思います。なお典型的三日坊主なので難しいと思います。

 

次回の記事はこちらです。

incompatible432.hatenablog.com

 

※情報の出典は全て公式ホームページとwikipediaに拠ります。気になった情報はご自身でも調べることを強く推奨します。誤情報があればうどんくらい優しめに教えてください。