上越線で国境を越え、スノーラピットに乗って春の上越へ【2021.04新潟旅行】#1
こんにちは、三鷹です。今回は2021年の4月に青春18きっぷを利用した新潟県上越地方への旅行を備忘録的記事となります。
今回の記事は八高線、上越線、ほくほく線と乗り継いで直江津までダラダラと移動した乗車記となります。
安直な18きっぷユーザーあるある:とりあえず始発から動きがち。今回の移動ルートは始発電車でないと少し困ることになるルートなので安直に始発電車に乗って立川駅へ。立川からは青梅線で拝島まで行き、更に乗り継いで八高線の川越行きに乗車。
八高線は拝島を抜けると国道16号に沿って横田基地のそばを走ります。その地域柄ゆえ立地しているお店や景観がアメリカ風となっていて、ヘビーそうなハンバーガー屋や陽気なクラブなど歩くだけでアメリカに来たような気分にさせてくれます。なお私はアメリカには行ったことがないので全て"イマジナリーアメリカ"の話ですが。毎年行われる横田基地の友好祭では基地の中に入ることができ、米軍が所有する戦闘機を見学したり、屋台ではステーキやハンバーガー、訳の分からない添加物の入っていそうな色をしているドリンクなどアメリカンな食事が楽しめたりします。下の写真は私が家族で2019年に訪れた際の写真となります。とても面白いので首都圏にお住まいの方はおススメです。
夜明け直前、辺りが薄明りに包まれる頃に八高線は東京と埼玉の県境に跨る森林地帯を抜け、高麗川まで駆け抜けます。八高線は高麗川より北の区間は非電化となっているので八王子発の電車は全て高麗川、もしくは川越線直通川越止まりとなります。終点の高麗川で降り、JR東の非電化区間でお馴染みのキハ110に乗り換えて高崎へ。
夜も明け日が昇り、八高線は首都圏の外縁部に沿って北上していきます。google mapを見ると顕著なように、八高線は関東の山間部の手前を縫うように進むため、「都会を抜け出し、山を目の前に臨んだ田舎の入口」のような景色が延々と続いていきます。
途中には寄居や小川町などの市街地もあり、朝の八高線はこれらの町へ向かう学生や高齢者をポロポロ乗せてまったりと走っていきます。毎日通勤電車に揺られて乗換駅に着くと吐き出されるように電車から飛び降りる東京の朝とは違う時間が流れていました。
高崎に到着し、ここからは上越線に乗って上越国境を目指します。渋川、沼田と北上していくにつれて風景はどんどんと山間部へと移っていきます。高崎では車内が人が混みあっていましたが、新前橋で通勤客が降りていき、渋川で学生が降りていき、沼田を発車する頃には登山客と限界キモ鉄道オタクしかいませんでした。
水上に到着するといよいよ上越国境地帯に突入します。この水上~越後湯沢間は上越線鈍行旅においては避けることは出来ない難所となります。この区間は下り電車が一日5本ほどしか通っていないため、旅程管理能力が低いとここで数時間待ちを食らいかねません。私の場合、高崎線経由では水上駅始発の8:28発長岡行きに間に合いません。この場合目的地到着まで大幅に時間を食うので、わざわざ八高線経由でここまで来ました。ちなみに中央線沿線では高円寺~東小金井の駅スタートの場合高崎線を使おうと八高線を使おうとこの8:28発長岡行きには間に合いません。
車両は新潟県でおなじみのE129系。山間を見ると4月とはいえ徐々に雪が深くなっていきます。鉄道オタクなら知らない人はいないモグラ駅こと土合と湯檜曽を通り抜けていきます。土合駅は上越国境をまたぐ谷川岳の麓にある駅で、下り線(長岡方面)ホームが10km以上ある新清水トンネルの中にあります。このため、ホームから地上に上がるまでに10分以上かかるというモヤシ鉄道オタク絶対〇すマンとして圧倒的知名度を誇ります。下の写真は私が2019年に来訪した際の写真です。
国境の長い新清水トンネルを抜けるとあちこちに積雪が見られる4月上旬の雪国が姿を見せました。ちなみに川端康成の小説は『眠れる美女』くらいしか読んだことがありません。かいけつゾロリ生まれラノベ育ちの2〇歳こどおじニートには川端の文学的表現は難しかったです。
長岡行きの電車を越後湯沢駅で途中下車します。流石に湯沢まで来るとホームに吹く凍てつく風がジャケットの隙間まで入り込んできます。
越後湯沢からはほくほく線の超快速スノーラピットに乗車します。ほくほく線の歴史及びスノーラピットについて述べていくと私の卒論レベルの文字数が割かれることになるため、細かいところは省いて簡単に紹介します。面倒な方は「全てにおいて異常な化け物みたいに速い電車」と認識してくれればOKです。次の写真くらいまでスクロールしてもろて構いません。
↓以下バカ長い「簡単な説明」
ほくほく線は北陸新幹線が開通するまで上越新幹線経由で富山・金沢と東京をスピーディーに結ぶために開通させた第三セクター線です。直線的なルートから信号まで全てローカル線としては異常な高規格設備で整え、越後湯沢と北陸を結ぶ特急「はくたか」が時速160km(特急としては現在でも日本最速級)で駆け抜ける北陸へのバイパスとして機能していました。北陸新幹線の開通とともにほくほく線は本来のバイパス機能を終え、はくたかも廃止となりました。
スノーラピットは地方のローカル線としては異常な高規格の設備を活かしてはくたかの後継として登場した快速電車です。スノーラピットは88.6km/hと日本の普通電車としてはトップクラスの表定速度(非鉄オタなら平均速度と考えればギリセーフ)を誇ります。
時速160kmのはくたか亡き今、見た目はウサギみたいに可愛い1~2両の電車が田園地帯と山間を爆走する姿はほくほく線の新たな名物として人気を集めています。
速達型は越後湯沢~直江津の80km以上に及ぶ距離に対し十日町ただ1駅だけ停車して結びます。これには新快速もビックリ。私が乗ったのは非速達型なので他にもまつだいや虫川大杉に停車します。この辺の駅は90年代の電車でgoをやっていた古いオタクなら覚えているのではないでしょうか。私は2の3000番台でほくほく線の駅名を全て覚えました。
越後湯沢を出発してわずか1時間、電車は80km離れた上越地方の中心地、直江津に到着しました。今回の記事は以上になります。次回は観光編を投稿したいと思います。
韮崎の名桜スポット&小海線の観光列車を巡るおススメ日帰り旅行
こんにちは、三鷹です。こちらは2021年3月に日帰りで山梨、信州を回った日記です。この半年近くリアルの方面で多忙だったので投稿まで日数がかかってしまいました。
今回の主な目的は
①韮崎の名桜スポット「わに塚のサクラ」を見ること
②小海線の観光列車「high rail 1375」に乗ること
の2点です。
当日は最寄り駅の始電に乗って中央線をひたすら西進しました。
こちらは高尾駅から乗車した普通松本行です。この211系電車は国鉄時代から活躍しているベテランで、かつては東海道線を中心に都内への通勤を支えたエースでした。しかし、E231系やE233系のような次世代が登場し、現在は老人ホームにぶちこまれるように多くの編成が長野地区へと移籍し、立川以西の中央東線を中心にその余生を送っています。今日も老体にムチを打って東京から長野の高地へと駆け上がっています。
私は生まれも育ちも中央線キッズなので、笹子を越えると見えてくる甲府盆地は半分地元みたいな安心感がります。そのせいでブログ用の写真撮影を怠ってしまいました、大馬鹿者め。3月末の車窓には桜や桃の花(後にこの桃がキーワードとなります)がそこらこちらに見えてとてもきれいでした。記憶が正しければ左の桃が石和温泉付近、右の桜が勝沼ぶどう郷駅だったと思います。
下車したのは韮崎(にらさき)駅。中央線は微妙に読みが難しい駅が多いですよね。四方津(しおつ)とか、春日居町(かすがいちょう)とか。私は中央線沿線出身なので中央東線の駅名なぞ小学校のときに百人一首とともに暗唱させられましたが、そうでないと結構厳しそうな印象を受けます。先日友人が「塩山(えんざん)」を「しおやま」と読んだときは衝撃を受けました。
韮崎駅は甲府を出て3駅目の場所にあります。韮崎にゆかりのある有名人にはノーベル生理学・医学賞を授与された大村智氏やサッカーの中田英寿氏がいるため、駅前の看板には2人を売りにした広告が複数ありました。同時に、駅のホームから見える場所にバカデカ観音があることでも有名です。
韮崎駅から歩くこと約30分、わに塚のサクラに到着しました。当日は曇りだったので景色が多少残念でしたが、晴れていると奥に八ヶ岳や富士山が綺麗に見える桜の名所です。下にネットで拾った画像を載せておきます。
わに塚が他の観桜スポットと異なるのは、韮崎駅から上った塚の上に一本だけ桜が植えてあるところです。多くの桜スポットは数多くの桜が並び、その壮観さに感動することが多いのですが、わに塚の桜は一本だけ生えた桜が雪深い山々と対比させて寂しさと春の訪れを強調しています。私はこういう情感豊かな春が好きです。花粉は嫌いですが。
桜の根本には水仙などの花が桜と一緒に咲いています。ここだけ咲いている花たちがまるで花園を思わせます。確かに春は桜だけじゃない、色とりどりの花が色づく季節なのだと教えてくれます。
余談ですが、わに塚から韮崎駅まで徒歩で移動していると、近くの畑でキジを見かけました。珍しいなと思いながら歩いていると次にサルが林の中にいました。ん?あと犬が来たらコンプリートだな…
来ました。道路を走る車の中から犬が顔をだしてこちらを覗きこんでいました。
そういえば行きの中央線の車窓からは桃が綺麗に咲いていましたのが見えていましたね(伏線回収) 。実は「桃太郎先輩山梨出身説」という〇夢キッズウキウキのトンデモ都市伝説があります。
〈根拠1〉YMNS県は桃の生産量が全国レベルでもトップである。桃太郎先輩も1章で桃から生まれているが、「桃太郎先輩が生まれる確率はポアソン分布に従う」と仮定すると、桃のサンプル数が多い山梨県では桃太郎先輩が一人くらい生まれても「桃から人は生まれない」という一般常識に合致する帰無仮説を採択することが出来るだろう。つまりガバガバ統計学的にも桃太郎先輩が桃から生まれてきてもおかしくないことになる。たまげたなあ…
〈根拠2〉次はYMNS県の地名に注目してみよう。YMNS兄貴には「鳥沢」「猿橋」「犬見」と2章で桃太郎先輩に従事するペット(意味深)にまつわる地名が大月周辺に集中している。桃太郎兄貴はこれらの地域で各ペットを従えたという伝説がある。そして中央道のSAがあることで有名な「談合坂」。察しの良いホ〇なら分かると思うが、これも桃太郎兄貴の〇玉で有名なきびだんごに由来するという説がある。完 全 に 一 致。
最後に学会お馴染みのガバガバアナ〇グラムで締めたいと思う。
先輩にちなんだ地名の多い OOTK(大月)
先輩が生まれた MM(桃)
先輩がレ〇プしたとされる ON(鬼)
先輩が生まれた瞬間BBAが発したとされる ARA!(あら!)
これらを並び替えると....
MOMOTARO ANK (桃太郎兄貴)
これは桃太郎先輩が山梨県出身であることを裏付けている証左以外何物でもない。よって「桃太郎先輩山梨出身説」が示された。Q.E.D.
ここから乗るのは本日の目玉その2、観光列車「HIGH RAIL 1375」です。この列車は2017年からJR小海線(八ヶ岳高原線としても知られています)で運行開始した観光列車です。「HIGH」というのは小海線がJRの中でも特に標高の高い地域を走ることに由来します。日本で標高の高い駅ランキングは1位の野辺山駅から9位の松原湖駅まで全て小海線の駅が独占しています。圧倒的…。そして「1375」というのは清里~野辺山間にあるJR鉄道最高標高地点の標高が1375mであることにちなんでいます。
この観光列車に使用されているのは小海線でも長らく走っているキハ110系気動車ですが、内装はhigh rail用に改装され、私が乗車した車両では全ての座席が窓側を向くように座席が配置されていました。車窓からは八ヶ岳周辺の高原地帯やレタス畑、千曲川といった自然溢れる景色を拝むことが出来ます。
high rail1375は小海線の主要駅に停車しながら小淵沢駅と小諸駅を2時間半ほどで結び、速達性も十分にあります。また清里駅や野辺山駅といった有名駅では5~10分程度停車し、一時降車出来るようになっています。上の写真は清里駅のホームで撮影しました。
こちらの雪だるま型のサイロが置いてあるのは野辺山駅。標高が1345mあり、一般的な鉄道の駅としては日本最高地点になります。列車名にもなっている日本鉄道最高地点(1375m)は清里駅と野辺山駅の間にあり、野辺山駅からレンタサイクルでアクセスできます。野辺山やその周辺の八ヶ岳高原地域はその標高を活かした高地農業が盛んで、レタスなどの野菜栽培や酪農が盛んです。サイロが置いてあるのはそのためですね。
1号車には物販コーナーが設置されてあり、high rail関連グッズや軽食類が販売されていました。こちらは記念に購入した八ヶ岳高原サイダーとクリアファイルです。
信濃川上駅を越えると小海線は千曲川と合流し、終点の小諸まで川に沿いながら佐久盆地へと降りていきます。千曲川は新潟県に入ると日本一の長さで知られる信濃川に名称が変化します。信濃の地域で信濃川と呼ばれるのはまだしも、越後の地域で「信濃の方から来るので信濃川」と名前が定着してしまうのはよく考えるとおかしな話だと思います。
JR東日本の方が車両の外から幕を下げているのは佐久市の中込駅。利用客数こそ佐久平駅に劣るものの、2面3線で構成されている小海線の中では大規模な駅で中込止まりの列車も多い小海線の要衝です。写真の通り、high rail 1375は累計利用客数が50000人を達成したようで、車内でも記念品プレゼント(コースター等)と写真撮影イベントが行われました。私も写真を撮ってもらったはずですが、何故か推定30代の無精ヒゲこどおじニートが映っていたので掲載は控えます。多分心霊写真なので下手に載せると皆さんにも厄災が降りかかるかもしれません。
中込を発車し、佐久平を抜けると終点の小諸までは遠くありませんでした。降車すると改造前のデフォルト仕様のキハ110が停まっていました。小海線では2007年より世界初のハイブリッド営業車であるキハE200が走っていますが、私はJR東のローカル線ではお馴染みの顔で安心感があるこちらの方が好きです。
今回乗車した小海線は車窓を眺めるだけで気分が晴れやかになる高原路線で、東京から日帰りでアクセスしやすい非常におススメの路線になります。沿線には清里や野辺山といった観光スポットも多く、今回乗車したhigh rail 1375は夜になると天体観測を行います。首都圏にお住まいで日帰りでリフレッシュしたいと思った方は今回のブログを読んで1ミリでもその魅力が伝われば幸いです。もっとも、天候と投稿者のカメラスキルのせいで綺麗な写真がないのは面目ない限りですが。
大沼公園、函館おひとりさま満喫セット【2021.03北日本旅行】#5(終)
こんにちは、三鷹です。
この記事は北日本旅行シリーズの第五弾です。初回及び前回の記事をご覧になりたい方は次のurlからどうぞ。
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今回のスタート地点は4日目朝、雪深く風が冷たい洞爺駅からです。
最初に乗車したのは昨日に引き続き特急北斗、函館方面へ向かってしばらく揺られます。
昨日に引き続き室蘭本線は内浦湾に沿って走っていきます。途中には秘境駅としてオタク界で有名な小幌駅があります。眺めていて飽きることがない素晴らしい景色です。
私が降り立ったのは大沼公園駅。大沼公園は函館から20km弱ほど北にある国定公園で、駒ケ岳の噴火によって川がせき止められたことによって形成された大沼と、その周辺の豊かな自然で人気がある公園です。冬になると大沼は凍結し、ワカサギ釣りやスノーモービルといったレジャーが人気です。
私は正直レジャーにはあまり興味なく、純粋に散策をしてみたくて訪れました。しかし、公園に入って直ぐにあるお店のオッチャンに
「ワカサギ釣りできるよ、やんないかい?」
と声を掛けられました。電車の乗り合わせの時間を考慮してやんわりと断ると、
「じゃあスノーモービルはどうだい?」
……面白そうじゃないか。
という訳で乗りました。チョロい奴め。
オッチャン曰く丁度大雪のおかげで氷上が走りやすく、天気も申し分なく良い日だったようです。当日は私以外誰も利用客がいなかったので、まったりと満喫させて頂きました。駒ケ岳は雲がかかっていましたが、スッキリ晴れていて非常に気持ち良かったです。
そしてスノーモービルは私が思っているよりずっと爽快感が溢れていました。コースには直線もあり、結構スピードを出して走ることが出来ました。氷上をこんな豪快に走れる体験はなかなか無かったと思います。これは是非皆さんにもおススメです。
スノーモービルを満喫した後は予定通り公園の散策を再開。視界に見えるのは一面の雪と足跡、そして駒ケ岳。歩くのには一苦労しましたが、迷子にならないよう標識がちゃんとあり無事に帰ってこられました。冬の北海道を全身で感じた非常に良いウォーキングでした。
大沼公園駅からは鈍行で函館まで向かいました。鈍行列車は至る所にその地域特有の日常が垣間見える点で好きです。寒気を遮断するためデッキと座席が区切られており、天井には古い扇風機。雪景色の中ゆっくりを線路の轍を作っていく姿には情緒を感じます。私の地元では決して見られない"日常”の一つです。
函館は渡島半島の南東部に位置する、北海道でも指折りの大都市の一つです。今こそ飛行機で本州との間をビュンビュン行き来出来ますが、かつては青函連絡船や青函トンネルを通って北海道入りするルートが定番で、函館が北海道への玄関口となっていました。
また、津軽海峡や太平洋、内浦湾に挟まれていることから良港としても知られ、カニやイカなど多くの魚介類が名物として人気です。他にもご当地チェーンの店としてはラッキーピエロのハンバーガーやハセガワストアの焼き鳥弁当が有名です。特にハセストの焼き鳥弁当は「焼き鳥」と言っていますが豚肉を使用されているという謎に満ちているので是非食べましょう。
函館の風景は「坂」が重要な役割を果たします。函館の平野部は渡島半島と函館との間に形成された陸繋砂州が基となっています。陸繋砂州とは、海の砂が潮の流れなどで堆積することで形成される砂州という地形が成長して島と陸続きになっている地形を指します。そのため、函館山の近くでは坂道に沿うように市街地が広がり、迫力ある「坂道の街」としての姿を見ることが出来ます。
函館山の山頂から臨むとその特異な地形が分かりやすいと思います。私はこういう変わった地形の街が好きです。坂と海のある町、としては尾道も私のお気に入りの一つです。こういう形の町が嫌いじゃない方は是非行ってみることをおススメします。
また、函館は日本が開国した際に外国人が滞在した港の一つであるため、教会が多いことも特徴的です。カトリックや正教会、国教会といった異なった宗派の教会が密集して見られるため、それぞれの建築や様子の違いに注目して見学するとより面白みが増します。教会が集まる元町地区には他にも旧函館市公会堂や旧イギリス領事館など、レトロな建築も多くあるので散策してみると非常に面白いです。
函館はあまりにも魅力が多すぎて、旅行記というより街の紹介みたいな形式になってしまいましたね。とにかくそれだけ良い街だったので、是非一度訪れましょう。
函館の夜は地元の居酒屋、宝来東屋さんで。函館の海の幸が非常に美味でした。2枚目は函館で獲れる深海魚の「ごっこ」鍋。ちょうど冬が旬の食材らしく、店員さんが非常に丁寧に教えてくださいました。食感はアンコウに近いかも?ぷりぷりの食感が口の中で踊って最高でした。
その日はそのまま函館で一泊し、次の日に新幹線で東京に帰って旅行を終えました。
この度は、最後まで記事を読んでいただきありがとうございます。個人でブログを書くというのは初めての経験で、右も左も分からないままここまで書き進めて参りました。私自身が書いていて非常に楽しかったので、今後とも何かネタが出来次第更新していきたいと思います。
※情報の出典は全て公式ホームページとwikipediaに拠ります。気になった情報はご自身でも調べることを強く推奨します。誤情報があればうどんくらい優しめに教えてください。
大雪後の洞爺湖で有珠山と絶景を臨む 【2021.03北日本旅行】#4
こんにちは、三鷹です。
今回は北日本旅行記事の第四弾です。第一回、及び前回の記事を参照される方は以下のurlからどうぞ。
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今回は#3の続き、太平洋フェリーに乗って苫小牧に上陸したところから再開します。
苫小牧についたのはちょうどランチタイムのことだったので、特急が来るまでランチに。
訪れたのは苫小牧駅から徒歩で5分ほどの「香るつけ蕎麦 蕎麦花」さん。店内の様子は典型的な蕎麦屋さんというよりラーメン屋などでみるような構造に似ています。その特徴的なバーカウンターがおしゃれな雰囲気を作り出していて非常に良かったです。
頂いたのはこの鴨つけせいろ。当時はブログ化も考えていなかったのでロクな写真が無くて申し訳ないです……。写真からも見て取れる食べ応えある太い麺が特徴的で、普段スーパーの乾麵や東京の立ち食いそばばかり食べている私に本物の香りと食感を体験させてくれました。
蕎麦に舌鼓を打った後は、北斗に乗車。私自身JR北海道の特急に乗ることが初めてだったので非常に楽しみでした。
北斗は1965年に函館と札幌・旭川を結ぶ特急としてデビューした歴史ある特急です。その名前は北斗七星が北極星を指し示すこと、青森から青函連絡船で函館に上陸した人が「北都(札幌)」を目指して乗車したことにまつわるそうです。ちゃんと鉄道雑誌の引用文献があるそうですが、私自身は二次文献にしかあたっていないので信憑性は保証しません。現在でも一日11往復走るJR北海道のエースを担う列車です。
私が乗車したのは上の写真にも写っている261系1000番台。私世代のキッズはやはり北斗と言えば281系のような青い姿が印象的だと思います。281系も今年でデビューして30年、廃車となる前に乗車しておきたいですね。
室蘭本線は海に面して走行する区間が多々あり、海の見える駅として有名な北舟岡駅なども通ります。またも三鷹さんがカメラトロールをかましたせいでボツとなったので、代わりに北舟岡を紹介しているページを貼らせて頂きます。
他にも室蘭本線にはアイヌ文化発信の拠点であるウポポイ(@白老)や、工業都市室蘭を通るなど、車窓のネタが尽きないとても面白い路線です。私自身特急に乗って素通りしているところも多いので、ちゃんとこの足で降り立たないといけませんね。
途中の洞爺駅で途中下車。電車の遅延で路線バスに間に合わなかったので、タクシーに乗ることに。運転手のおじさん曰く前日の低気圧で例外的に雪が積もっている上、全く観光客がいないとのこと。これは期待大!そして辿り着いたのが……
どーん、と洞爺湖。辺り一面誰もいないので、洞爺湖と羊蹄山の雪景色を独り占め。これは頑張って来た甲斐がありましたなあ。
洞爺湖は日本で9位の面積を誇る大型の湖で、約10万年前の噴火によって形成された湖です。噴火によって地中のマグマが噴出されることで山の中心が凹状になっている地形をカルデラと呼び、熊本県の阿蘇などが有名な例として挙げられます。このカルデラに水が貯まることによって形成される湖をカルデラ湖と呼び、洞爺湖はカルデラ湖に当たります。
洞爺湖について訪れたのは火山科学館。ここでは主に洞爺湖周辺と有珠山の歴史など取り纏めた施設です。有珠山は洞爺湖の南側にそびえる活火山で、現在でも20~30年に一度の周期で噴火を繰り返しています。戦後でも1977年と2000年に大きな噴火をしており、この火山科学館ではその様子や被害を映像、被害にあった構造物の展示、体験コーナーなどを通して伝えています。火山について勉強になっただけでなく、様々な展示が非常に面白かったので、訪れることを強くおススメします。
この日泊まったのは洞爺サンパレス リゾート&スパさん。どうやら北海道では有名なホテルらしい。今回諸事情でたまたまこちらの宿に泊めていただいたのですが、あまりにも豪華。全室レイクビュー、カニ食べ放題の夕食、いくら丼食べ放題の朝食、星空を拝む露天風呂。文章にすると冗長になる上、自慢語りしてイキっても仕方ないのでこれ以上言及は控えます。とにかく下等遊民の私には身に余るものでした。
酷く不格好な写真しか撮っていなかったので食事の写真は控えさせていただきます。バイキングって見栄えよく撮るの難しいですね……。
今回このホテルには諸事情で所定の金額よりずっとお手頃価格で泊めさせて頂いたのですが、高等遊民とも言うべきブルジョワな経験をしてしまいました。将来泣く泣く下等遊民を辞めて社会人になった暁には、お金を貯めてまた訪れたいと強く実感させるホテルでした。
今回はここまで、次回は4日目の洞爺から再開したいと思います。今回も読んでいただきありがとうございました。
次回の記事はこちら
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太平洋フェリー「きそ」に乗って苫小牧へ【2021.03北日本旅行】#3
こんにちは、三鷹です。
今回は備忘録的旅行記事の続きです。最初からご覧になりたい方は次のurlからどうぞ。
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前回の記事はこちらです。
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今回は2日目、仙台から苫小牧まで乗った太平洋フェリーきそ号に乗船したレビュー記事となります。
まずは簡単に太平洋フェリーについて紹介します。太平洋フェリーは名古屋⇔仙台⇔苫小牧を結ぶ船を定期運航している日本の海運会社で、「いしかり」「きそ」「きたかみ」の3隻を所有しています。名古屋・仙台間は隔日、仙台・苫小牧間は毎日運航しています。
その評価は業界内でも非常に高く、船旅に関する雑誌「クルーズ」が実施するクルーズシップ・オブ・ザ・イヤーでは3隻ともフェリー部門で第一位を受賞したことがあります。
私も1年前にいしかり号で名古屋から苫小牧まで乗船したことがあり、以来太平洋フェリーの虜となってしまいました。
今回乗船したのは「きそ」。2004年にデビューした現役の3隻の中では一番の古参の船ですが、決して古臭さなどは感じさせない見た目と内装です。全長199.9mの巨躯がこれからの優雅な船旅を期待させます。私は事前に乗船手続きを済ませ、時間ギリギリの19:00頃に乗船しました。
今回泊まったのは1等洋室。「きそ」には寝床を共有するタイプの2等、B寝台、S寝台に加えて個室の1等、特等、セミスイート、スイートのように階級が分かれています。また、個室は全て定員が二名以上となっていて、一人の場合は二人部屋に割り当てられます。
私の部屋は1等のなかでもインサイドという個室の中で一番安い部屋です。窓から海が見えません。その点を除けば、写真の通り一般的なビジホと何も変わりません。部屋にトイレとシャワーがついていたので室内で全てが完結します。
私が太平洋フェリーを気に入っている点としてはその値段にあります。今回の部屋も個室、しかも2人部屋で仙台から苫小牧まで移動するという相当な贅沢をしていますが今回の金額は1万円。結構直前に申し込んだので早割などを利用するともう少し安くなるかも。個室で休み、海を眺めながら北海道に行くのに1万円と考えると相当安いなと思います。昨年名古屋から苫小牧までB寝台に乗った際は7000円で乗れました。一泊3500円……?
船の中心部は本当のビジホより豪華な作りをしています。乗客が行き来できるエリアは3階建てで構成されていて、オーシャンビューの大浴場やコインランドリーからゲームセンター、シアターと様々な施設が備わっています。ショップでは愛知、宮城、北海道各地のお土産を取りそろえています。
レストランでは夕食、朝食ともにバイキングを提供しています。ちゃんと手袋・マスクの着用など新型コロナウィルス感染拡大予防がなされています。所詮船のバイキング、などということはなく、非常にクオリティの高い料理が提供されていました。写真中央はエビのご飯に出汁を掛けたお茶漬け、左中央にあるのは牛ステーキです。どれも非常においしく、ステーキは補充される度におかわりしていました。
他にもフェリー内にはラウンジバーがあり、「まかないカレー」といった船ならではのメニューが廉価で頂けます。
この日は太平洋側を大きな低気圧が通過していたので船酔いが心配で、酔い止めを飲んでさっさと寝ることにしました。しかし、船内には強力なスタビライザーが備わっているようで、想定の半分も揺れを感じなかったので酔うこともなく熟睡することが出来ました。
起きたのは午前5時頃のこと。早起きの目的は海上で日の出を拝むこと。日常では昼夜逆転しているのに、旅行中だけはなぜか早寝早起きできます。私の天敵である大学の1限も全て旅行中にオンライン受講すれば良いのに。
先述の通り、当日は低気圧が通過していたので東の空は生憎の曇りでした。綺麗な日の出を拝むことは出来ませんでした。東の空だけ曇っているので、心なしか幻想的というか禍々しいというか……
少し時間をおいてから西の空や南の空に向けて撮影したら海上らしい写真が撮れました。もう少し良い構図の写真もあったのですが、指が写り込んでいる写真が多くて泣く泣くボツになりました。次回はちゃんと撮影したいと思います。
甲板で冷えた身体は大浴場で温めました。大浴場は海が見える上に、下船直前以外はいつでも入れるので本当にありがたいです。
朝食のバイキングを頂いた後は甲板をウロウロしたり、ラウンジの椅子に座ってまったりしていました。苫小牧港に到着したのは11:00のこと。今回は多少お金に余裕があったので船内で少し散財させて頂きましたが、それに見合うだけの豪華な経験をさせてもらうことが出来ました。
飛行機でさっさと北海道入りするのも悪くないですが、船に乗って待ちわびるように北の大地に降り立つのも中々オツなものですよ。北海道だけが旅の目的じゃなかったり、荷物を積んで自身の車で旅したりするときにはフェリーは良い選択肢だと思います。
次はキャンプ道具を積んで友人と最新の「きたかみ」に乗って道東を旅したいかもしれません。まずは友達をつくるところから始めないと、はっはっは……。
続きの苫小牧以降の旅はまた次の記事にて、それでは。
次回の記事はこちらから
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※情報の出典は全て公式ホームページとwikipediaに拠ります。気になった情報はご自身でも調べることを強く推奨します。誤情報があればうどんくらい優しめに教えてください。
陸羽線に乗って冬の山形・宮城を横断【2021.03北日本旅行】 #2
こんにちは、三鷹です。
今回は備忘録的旅行記事の続きです。最初からご覧になりたい方は次のurlからどうぞ。
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今回は二日目を振り返ります。この日の出発地は酒田、目的地は奥羽山脈を越えた仙台でした。奥の細道を逆から辿っていくようなルートで進んでいきます。
最初に乗るのは羽越本線のGV-E400系。こちらは2019年にデビューしたディーゼルで発電する電気式気動車で、JR東日本のニューフェイスです。現在は新潟地区、および秋田地区で運用されているようで、今後の顔にもなるのでしょうか。個人的には随分イカツい顔だなあという印象を受けました。ローカル線はもっと可愛い顔の方が似合う気がします。オヂサン、下のキハ110系チャンの方がずっと可愛くて馴染みあると思うナ!
余目駅からは陸羽西線に乗り換え。陸羽西線は山形県余目と新庄を結ぶ路線で、松尾芭蕉の奥の細道のルート及び最上川に沿って走ることから「奥の細道最上川ライン」とも呼ばれます。東京さくらトラムよりはまだ馴染のあるネーミングかもしれません。名前に関してはえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインが一番インパクト強いですね、こいつに至っては正式名称ですし。前々から高田を訪れたいと思っていたので是非一度乗りたいものです。
陸羽西線は最上川沿いの渓谷の間を縫うように進み、辺り一面が一気に雪景色へと変わっていきました。反対に酒田市街はほとんど積雪がなく、何の不自由もなく過ごせていたので良いコントラストとなっていました。陸羽西線は深緑と最上川の対比が顕著な夏や、紅葉の生える秋が印象的ですが、雪や霞で全体的に白みがかかっているため、風光明媚な渓谷を強調している冬も悪くないなという印象を受けました。そう思えないのは私の乏しい撮影技術によるものです。皆さんの素晴らしい補完能力でエモエモにしてください。
新庄駅に着いたのは11時のこと。新庄駅は頭端式ホームが4本、向かい合うように並んでいる変わった構造をしています。これは山形方面のレールは新幹線が通るため標準軌(1435mm)が使用されているのに対し、秋田方面は一般的な在来線で使用される狭軌(1067mm)が使用されていることに起因します。
新庄駅からは、宮城に住んでいる友人の車で移動しました。彼は社会人で私よりずっと年上で忙しいはずなのに私の3倍は日本各地を旅する魔人です。
東に進むにつれ雪はますます深くなっていき、最初に赴いたのは陸羽東線の堺田駅。この駅前は本州の分水嶺が見られる数少ないスポットであることで知られています。
分水嶺とは平たく言えば、川が流れ行き着く海を決定する境界線のことを指します。一般的には山の稜線に一致します。写真の左側が最上川となって日本海へと行き着く水で、右側が北上川となって太平洋に行き着く水となります。
辺りは非常に静かな場所で、川も静かに左右に分かれて流れていきます。こんな静かなところから行き着く先が太平洋と日本海の分岐点になっていること自体に示唆的なものを感じます。
堺田駅を出て次に訪れたのは鳴子温泉。鳴子温泉は東北地方の中でも指折りの名湯として知られます。同時にこけしの製造も盛んで、街中を歩くと温泉の匂いが漂い、こけしを模したデザインやシンボルがあちらこちらに見えたが印象的でした。次回訪れたときはちゃんと宿を取ってゆっくり滞在したいところです。
鳴子温泉には2つ共同浴場があり、今回訪れたのは鳴子・早稲田桟敷湯。この浴場は早稲田の理工学部生がボーリング調査の際に掘り当てた温泉が基となっており、浴場としては前衛的なデザインも早稲田の建築の方がデザインされたそうです。デザインを知らずに初めて建物を見た際に私は「あ、早稲田の人が建ててそう」と本気で感じたので、早稲田の方は親近感を覚えること間違いなしです。
私三鷹は下等遊民の傍ら早稲田の学生をやらせてもらっているので当然のように入らせて頂きました。早稲田生なので当然無料で入湯、という訳にもいかずちゃんとお金を払いましたが、500円で入れたので下等遊民に優しいお値段でした。中には早稲田ウィークリーなど聞き馴染みのある雑誌の記事もあり、本当に早稲田尽くしの浴場でした。早稲田生に是非お勧めのスポットです。
この後はそのまま仙台港へ向かい、太平洋フェリーに乗って北海道へと旅立ちますが、内容の区切りを考慮して今回はここまでにしようと思います。読んでいただきありがとうございました。
次回の記事はこちらです。
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※情報の出典は全て公式ホームページとwikipediaに拠ります。気になった情報はご自身でも調べることを強く推奨します。誤情報があればうどんくらい優しめに教えてください。
上越新幹線・いなほ経由で日本海を北上し酒田の栄華を辿る 【2021.03北日本旅行】#1
こんにちは、三鷹です。
本記事(群)は2021年3月に行った旅行の内容を備忘録として収める目的で書かれています。「私の記事を出来る限り多くの方に読んでもらいたい!」という意図では書いていないので悪しからずご承知ください。
まずは東京駅からとき307号に乗って新潟へ。こちらえきねっとのお先にトクだ値スペシャルで予約したので5250円で購入。貧困一人旅大学生に優しいね、ありがとうJR東日本。
東京駅のホームに待っていたのはE2系。この車両は1997年開業の秋田新幹線及び長野新幹線に併せて開発されたものです。2000年前後生まれのキッズは「東北新幹線はE2系しか勝たん」という教えを義務教育で教わります。小学生の頃眺めていた鉄道図鑑にもE2系が必ず載っていたのを覚えています。開発されて今年で24年、車両の寿命は大体ネコ以上カメ以下みたいな個人的偏見があるのですが、もう引退も近いのでしょうか。E2系キッズとしては大変悲しいですが、今回E2系に乗ることが出来たのは大変光栄でした。
東京⇒上野⇒大宮⇒...と進むにつれ眠気が。目が覚めると上毛高原駅を通過したところのよう。3月とは言え上旬も上旬、積雪がないことに驚きました。まあ実際そんなものなのか、と考えつつ谷川岳を越えるとそこは新潟県越後湯沢。トンネルを抜けた瞬間、車窓から見えたのは一面の雪景色でした。『国境の長いトンネルを抜けると』とはこの景色を見事に表現したものだなと感動しました。さす康成。
新潟駅について乗り継いだのはいなほ3号。終点の酒田まで乗りました。こちらもお先にトクだ値スペシャルで2580円、やっす。大丈夫かJR東日本。
車内は私以外誰もいない。マジで大丈夫かJR東日本。ところでいなほに使用されているのはE653系、こちらも1997年開発の車両。2000年前後生まれキッズ思い出の車両ですね。我々の小学生時代はフレッシュひたちの停車駅を暗唱出来るとクラスでチヤホヤされたものです。太平洋側の常磐線では見なくなりましたが、日本海側の羽越線で余生を送られているようです。こちらもご逝去して鉄クズになる前に乗車でき、大変光栄でした。
いなほに乗ったもう一つの目的はこの笹川流れ。笹川流れとは新潟県村上市にある11キロに及ぶ海岸で、波の浸食作用で奇岩や洞穴が多く見られるのが特徴で天然記念物にも登録されています。羽越本線は笹川流れに沿って走っており、車窓からその大胆な地形を拝むことが出来ます。同じく国道345号も並走しているので、次は車で訪れてみたいものですね。
酒田駅に到着したのは13時のこと。酒田駅は私が想像するよりこじんまりとしていることに驚きました。私は選好が歪んでいるのでむしろそのような駅の方が好みですが。まずは昼食を食べよう、ということで駅近くの酒田ラーメンをすすることに。
まず訪れたのは本間家別邸庭園『鶴舞園』。本間氏とは酒田一帯の土地を持っていた「日本一の地主」とも言われた豪商で、農地解放以前はとてつもない栄華をほこっていたとか。鶴舞園は1813年に4代目光道が造成した庭園で、日本酒でも有名な鳥海山を借景としたものです。しかし、写真のように当日は雲がかかってしまい、借景は叶わず。これについてはまたリベンジしたいですね。
次に訪れたのは日和山公園。この公園は灯台や方角石など、酒田が最も栄えていたときに使用されていた遺物が多く保存されている公園です。いわゆる西廻り航路(後述)を考案した河村瑞賢や『奥の細道』で酒田を訪れた松尾芭蕉の銅像もここに立っています。夕方ごろに訪れると日本海に沈む夕日がとても映える美しい公園だそう。
次に訪れたのは山居倉庫と庄内米歴史資料館。酒田が世に名を馳せたのは江戸時代、河村瑞賢が確立した西廻り航路で、酒田が米の積出地となったことに由来します。貿易の中継地として酒田は栄華を極め「西の堺、東の酒田」と呼ばれるほどになります。本間家が日本一の地主と言うのも納得ですね。山居倉庫は1893年に建てられた米保管倉庫で、米に支えられた酒田のシンボルでもあります。米歴史資料館は倉庫の中で酒田及び米の歴史、米文化や農民の暮らし、品種開発など多範な内容を展示した資料館です。情報量も多いこともありますが体験型の展示も多く、今まで訪れた資料館の中でも指折りで面白かったですね。
他にも訪れたところもありましたが、分量の関係で割愛をさせて頂きました。酒田は東京からのアクセスが比較的難しく、学生のうちにゆっくり訪れておきたいと思っていた街でした。私は高校では世界史・地理選択だったので日本史に明るくないですが、改めて酒田関連の歴史をおさらいして旅に出たので非常に勉強にもなり良い経験となりました。
やる気があれば続きを投稿しようと思います。なお典型的三日坊主なので難しいと思います。
次回の記事はこちらです。
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